TOTO ギャラリー・間 「311 失われた街」展

下記、イベントにて震災前と後の衛星画像の比較が展示されます。

「3月11日に何が起きたのか」を正確に伝えることが復興の第一歩になると認識し、「311 失われた街」と題した企画展と「311 ゼロ地点から考える」と題したシンポジウムを開催。企画展では、震災から半年が経った今、震災復興へ向けた活動を改めて感じてもらために、東日本大震災によって大きな被害を受けた地域の震災以前の街並の模型を展示し、「失われたもの」を再認識してもらう狙い。

日時 : 2011年11月2日(水)~12月24日(土)
開館時間 : 11:00~18:00(金曜日のみ19:00まで)
休館日 : 日曜・月曜・祝日 ※11月3日(木・祝)、11月6日(日)は開館
会場 : TOTOギャラリー・間(東京都港区南青山1-24-3 TOTO乃木坂ビル 3F)
入場無料

解説執筆 :槻橋修(神戸大学大学院准教授)

 

A.野田(岩手県九戸郡野田村)
B.田老(岩手県宮古市)
C.釜石(岩手県釜石市)
D. 大船渡(岩手県大船渡市)
E.陸前高田(岩手県陸前高田市)

F.鹿折(宮城県気仙沼市)
G. 弁天町(宮城県気仙沼市)
H. 志津川(宮城県南三陸町)
I.女川(宮城県牡鹿郡女川町)
J.石巻 (宮城県石巻市)
K.牡鹿半島 (宮城県石巻市)
L.荒浜(宮城県仙台市若林区)

M. 相馬港(福島県相馬市)
N. 浪江(福島県双葉郡浪江町)

F.鹿折(宮城県気仙沼市) Shishiori, Kesennuma City, Miyagi Prefecture
災害前 災害後
宮城県気仙沼市鹿折地
宮城県気仙沼市鹿折地
震災前:2001年11月15日撮影 震災後:2011年3月13日撮影

気仙沼湾の最奥部にあり東西を山地に挟まれ、「鹿折(ししおり)」の名の下に地域の結束の固い地区である。地下水が豊富であったため沿岸部には水産加工場が発達し、南北に走る県道気仙沼陸前高田線に沿って市街地が発達していた。今回の大津波では南側に位置する気仙沼湾から大きな波によって巨大な漁船や漂流物が大量に流入するとともに、重油タンクの流出による大火災が発生し、沿岸部は壊滅的な被害を受けた。また東側を流れる鹿折川を遡った波が、約2Km内陸の地域まで到達した。

G.弁天町(宮城県気仙沼市) Benten-cho, Kesennuma City, Miyagi Prefecture
災害前 災害後
宮城県気仙沼市弁天町
宮城県気仙沼市弁天町
震災前:2001年11月15日撮影 震災後:2011年3月13日撮影

気仙沼湾の西岸に半島状に延びる埋立地の中心部。南気仙沼駅と魚市場に挟まれ、活気にあふれた地区であったが、今回の大津波で避難施設であった魚市場を除くほぼ全域が壊滅した。また半島の先端にあった重油タンクが流れ込んで付近一帯を焼き尽くす大火災が発生、その火は10日間も消えなかったという。地震により一帯が1m以上沈下したため、現在は全域が満潮時に冠水する状態で、復興に際して大規模な変化を余儀なくされる地域である。

H. 志津川(宮城県南三陸町) Shizugawa, Minami Sanriku-cho, Miyagi Prefecture
災害前 災害後
宮城県本吉郡南三陸町
宮城県本吉郡南三陸町
震災前:2010年6月25日撮影

震災後:2011年3月19日撮影

三陸リアス式海岸の南部に位置する南三陸町は、2005年の平成の大合併によって発足したが、以前は志津川町と歌津町として知られていた町である。町役場や公立病院など重要施設が低地部に集中していた志津川町は、それらがすべて津波によって壊滅的な被害を受け、中心部をまるごと失ってしまった。最大で20mを超えたという津波は鉄道や橋梁をも破壊し、数カ月間公共交通が分断された状態が続いた。

I. 女川(宮城県牡鹿郡女川町) Onagawa, Onagawa-cho, Oshika-gun, Miyagi Prefecture
災害前 災害後
宮城県牡鹿郡女川町
宮城県牡鹿郡女川町
震災前:2010年6月25日撮影 震災後:2011年3月19日撮影

石巻市に囲まれるかたちで太平洋に面している女川町は、南三陸金華山国定公園に含まれる風光明媚な街であった。また女川原子力発電所が町の南側、石巻市との境に立っていることでも知られる。沿岸部の鉄筋コンクリート造のビルが6棟も横倒しになるほどの強大な津波の力は、女川の中心部に壊滅的な被害を与えた。 17mを超す大波は、沿岸の高台にある女川町立病院の1階部分まで波が到達した。

J. 石巻 (宮城県石巻市) Ishinomaki, Ishinomaki City, Miyagi Prefecture
災害前 災害後
宮城県石巻市鮎川浜
宮城県石巻市鮎川浜
震災前:2010年6月25日撮影 震災後:2011年3月19日撮影

県内第二の都市である石巻市は旧北上川の河口付近に市街地が形成されており、特に中州のある中瀬地区が古い商店街のある都心部の賑わいをつくってきた。中州の先端部分に位置する石ノ森萬画館は丸いドームを柱で持ち上げた形状の建物で、市の観光名所となっていた。今回の津波で1階は被災したものの、1960年のチリ地震の際に受けた津波の高さを参考に1階の階高を高く設計していたため、2階に設けられた収蔵庫などは守られた。

K. 牡鹿半島(宮城県石巻市) Oga Island, Ishinomaki City, Miyagi Prefecture
災害前 災害後
宮城県石巻市
宮城県石巻市
震災前:2009年11月4日撮影 震災後:2011年3月19日撮影

石巻市の東側に延びるリアス式海岸の牡鹿半島は、変化に富んだ地形の合間に約30カ所の小さな浜が存在し、漁業を軸とした生業で息づいていた集落があった。牡鹿半島の東端部に位置し牡鹿半島の集落の中で中核的な存在を果たしている鮎川浜は、かつて捕鯨で栄え、金華山参拝の入口として賑わった港町である。今回の津波では低地部分にあった住宅や施設のほとんどが流出し、隣接する十八成浜(くぐなりはま)の海水浴場の砂浜も地盤沈下によって消失した。

L. 荒浜(宮城県仙台市若林区)Arahama, Wakabayashi-ku, Sendai City, Miyagi Prefecture
災害前 災害後
宮城県仙台市若林区荒浜
宮城県仙台市若林区荒浜
震災前:2010年4月4日撮影 震災後:2011年3月24日撮影

荒浜地区は仙台市中心部から東へ10kmほど離れた沿岸部の集落で、平坦な土地が直接太平洋に面している。江戸から明治期にかけて開削された貞山堀(貞山運河)が海岸線に平行しており、運河沿いに続く松の防風林が海辺の景観をつくってきた。今回の津波で海岸線から約4km地点まで浸水し、約800世帯の集落が松林とともに失われた。平成元年に新築された荒浜小学校は海岸から約700mの場所にあり、地域の一時避難所として500名を超す住民が避難した。

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